2012年3月18日日曜日

尾鷲歳時記(60)

コブシの話
内山思考


尾鷲しか知らぬ辛夷にまたも雨  思考

辛夷は曇天だと
風景に溶けてしまう













まだまだ寒い毎日ながら、光の量や風の色がどことなく春の雰囲気になりつつある。新聞配達の途中、バイクを止めて置いて、石段の上の家まで一段とばしで駆け上がっていくと屋根の向こうの辛夷の木に白い花が咲き始めているのに気づいた。 「ああ」 と思わず感嘆の声が出る。 こういう時、人はきっといい顔をしているに違いない。青空が似合う花だから、天気続きだといいのだが、明日から二日ほど雨の予報なのは残念だ。辛夷と言えば、和田悟朗さんが以前住んで居られた、神戸のお宅の庭の木を思い出す。

わが庭をしばらく旅す人麻呂忌  悟朗

の句の庭である。

和田さんはもともと、よく咲いて美し過ぎる木蓮より、少し貧弱で素朴な辛夷が好きで、五十才の頃苗木を買って来て植えたところ、やがて沢山の花が咲くようになったとエッセイ(活日記)に書いておられる。 この辛夷は結局、平成七年の阪神淡路大震災の折、全壊したお宅と共に撤去されたので、僕は花に出逢う機会を失ったが、木だけは見たことがある。あの震災の二週間ほど後、阪急の青木という駅まで電車が通うようになったと聞き、僕はO氏夫妻を訪ねることにした。O氏宅は幸い大きな被害は無かったが、それでも停電、断水などライフラインはまだ途切れたままとのことであった。中身は忘れたが、リュックサックを背負った僕は、被災地の惨状に驚愕し、あるいは目を背けながら、O氏宅にたどり着き夫妻の無事を確認した。お二人はとても喜んで下さった。そして、その後、和田さんの自宅のある岡本へ向かったのである。

『活日記』は
僕のエッセイのバイブル
和田さんはその頃、奈良市内に仮住まいをされていたので、訪れても留守なのはわかっていたが、一度、高名な庭と辛夷の木を見ておきたいと思ったのだった。しばらく歩いて、確かこの辺りと見当をつけて行くと、向こうに寒そうな辛夷が立っていて。近所の犬が盛んに「誰や、誰や、お前誰や」と犬語で僕に誰何(すいか)した。後日、和田さんにそのことを報告すると、「あの犬は誰にでも吠えるんだ」と笑って言われた。