2012年5月20日日曜日

尾鷲歳時記(69)

5月20日、21日 
内山思考

日輪を大きく撥ねて蜥蜴の尾 思考 

上阪の際、大台越えは山道なので
もっぱらこの車









5月20日は第三日曜なので「風来」の句会がある。 今回は西宮である。先月の生駒の句会は所用があったため欠席した。尾鷲にいると、他人と俳句の話をすることがほとんどないので、俳人と会うのは久し振りだ。和田悟朗さんを始めとする風来のメンバーに会うと、ああ一人じゃなかったんだ、と毎回嬉しくなる。

もう一誌、僕の祖父の代から縁のある「大樹」は秋の大会しか出席しないのでもっと久し振りになるが、北さとり主宰とはしょっちゅう電話で話したり句選の原稿をやり取りしたりするので、あまりご無沙汰感はない。長い長いお付き合いのさとり主宰は、いつも穏やかで、線の細い見掛けによらず、意外に?丈夫な方なので安心していられる。

さて話しを「風来」に戻して、先日、和田さんから電話があり上梓したばかりの第十句集「風車」について、同人諸氏と語らいたいので句会を30分早く切り上げたいとのこと。楽しみな提案であ
る。どんな質問が出、それにたいしてどんな討論が交わされるだろう。そして、翌21日は金環食の日だ。


いつかこのコラムで紹介した尾鷲の「星の小父様」湯浅祥司(しょうじ)さんが、18日付の紀勢新聞に「金環食」という題で投稿していて、それによると湯浅さんは1958(昭和33)年、小学二年の時に部分日食を見た記憶があるという。

真ん中やや左の中村山に天文館がある

「…先生の指導でガラスをロウソクのススで燻して見た。八丈島日食である。昼前に欠け始め、一時過ぎに最大食分0.9になった。(中略)その日以降もしかして予報以外に太陽が欠けるかも知れないと思い」湯浅少年は黒い下敷きで授業中時々、窓の外を眺めたが、日食は二度と起こらなかった。その後彼は図書館の本を読んで次の日食が2012年に尾鷲で見られることを知る。しかし五十年後の、自分がおじいさんになった時のことなどとても想像出来なかった、と書いている。

確かにそうだろう。しかし月日は流れてとうとうその日がやって来たのだ。 風よ心あらば伝えてよ、せめてその瞬間だけでも尾鷲の空に雲よ近づくな、と。