2012年5月13日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(71)

古川流域/三田寺町(その4)
文:山尾かづひろ 


小田原・東善院の魚籃大観音像












都区次(とくじ):魚籃坂の途中に標柱がありますね。「坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるため名づけられた。」と書いてある。なんとも簡単明瞭ですね。それでは玻璃越に魚籃観音を拝んでゆきましょう。なるほど頭髪を唐様の髷に結った乙女の姿をした観音像で魚籃を提げていらっしゃる。
江戸璃(えどり): この魚籃観音は秘仏でね、いま見えているのは「御前立ち」というコピーで、本物は一尺ほどで左手に羽衣、右手に魚を入れた籃を持つお姿で、厨子か何かに安置されているのよ。漁業や航海にご利益があるそうよ。
都区次: えーッ、コピーの「御前立ち」、本当ですか!
江戸璃: 結構、そういう例は多いのよ。浅草寺の観音様もそうなのよ。
都区次: 魚籃坂を上り切った交差点を渡った角に、歯科医学発祥の地の碑が見られますね。
江戸璃: 高山紀斎が明治23年に高山歯科医学院(現在の東京歯科大学)を設立した場所なのよ。ここを直進すると伊皿子坂となるのよ。この坂は潮見坂とも呼ばれて、海に最も近く、近年まで海が見えたのよ。永井荷風の「日和下駄」に「芝伊皿子台上の潮見坂も、天然の地形と距離との宜しきが為に、品川の御台場依然として昔の名所絵に見る通り云々」のくだりがあるわよ。

伊皿子坂









夏帽子ぬげば放てり日の匂ひ  長屋璃子(ながやるりこ)
よじ上る都電の記憶薄暑光  山尾かづひろ