2012年5月27日日曜日

私のジャズ(73)

神は踊る
松澤龍一

NEWPORT 1958 MAHALIA JACKSON
(SONY 32DP 560)












外国人、特に欧米人と付き合っていて、答えに窮する質問にぶち当たることがある。それは、「俺はプロテスタントだが、お前の宗教は何か」である。勿論、宗教や政治は会話のタブーとされているので、親しくならないと、こんな質問にあうことはめったにないが。でも、外国人にとって東洋のはずれの小さな島国に棲む、色の黄色い小柄な人種がどんな神を信じているのかとても興味のあることに違いない。

こんな時ハタと悩む。お正月には神社巡りをして、日本の古来の八百万の神々に一家の安泰を祈るし、一応、なんらかの寺の檀家にもなっていて、死ねばお坊さんから戒名なるものを頂く。神道を信じていると言えば言えるし、仏教徒であるかと言えば仏教徒であるとも言えるし、どうもいい加減な返答しかできない。それにクリスマス、バレンタイン・デイ...とくると、段々訳が分からなくなってくる。

その点、欧米人は明確で良い。よっぽどへそ曲がりで無い限り、自分はThe Godを信じると言いきれる。羨ましく思う。もう一つ羨ましく思うのは音楽である。キリスト教ほど多くの音楽遺産を引き継いできた宗教は無いと断言できる。ヘンデルの「メサイア」、大バッハの「マタイ受難曲」、「ロ短調ミサ」、多くのカンタータ、ハイドンには「天地創造」、モーツアルトの「レクイエム」、ベートーヴェンに「荘厳ミサ」、時代は大分下ってフォーレの「レクイエム」など、殆どすべての作曲家が宗教曲を作っている。そして素晴らしいのはこれらの曲がキリスト教と云う宗教を離れても、音楽として燦然とした光を放っている点だろう。

ゴスペル、黒人霊歌もキリスト教に密接に結びついた音楽だ。黒人の宣教師がキリストの教えを黒人たちに広めるために教会で歌ったもので、シャウト系のブルースの一種だが、歌われている歌詞が聖書の言葉とか聖書に書かれている物語とかで、これを宣教師のリードのもとに、合唱隊、聴衆が一緒になって、歌い踊り、一種の宗教的恍惚に高めてゆく。

マヘリア・ジャクソン、ゴスペルの一人者であった。1972年にこの世を去っているが、1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルに快演を残している。「真夏の夜のジャズ」と云う映画にもなり有名になった。このステージを録音したのが上掲のCDである。映像をみると又面白い。白人も黒人も聴衆が乗りに乗っている。みんな踊っている。おそらく神も踊っているに違いない。