2012年6月17日日曜日

尾鷲歳時記(73)

梅雨のおくりもの
内山思考 

日日草植え何か植え元教師  思考 

雨に煙る天狗倉山








僕の住む路地の奥は行き止まりの土道で、ミカンやらレモンやらの木や草花が密生している。その奥が田んぼ、その奥はもう天狗倉山の麓である。ここで生まれ育った妻が言うには五十年前とほとんど変わらない風景だそうだ。 土道に入った左側に一本の梅の木があり毎年たくさんの実がなるが、そこのご主人は忙しいらしく採っている様子がない。だから、いつもこの時期には大粒の青梅が足の踏み場もないほど落ち、それがやがて茶色になって朽ちてしまう。

僕は毎日そこを通って新聞を玄関先のポストに入れるのだが、時には落ちたばかりの梅をボリボリと踏んでしまうこともあり、常々もったいなく思っていたので炭焼きの親方にその話をした。すると、「オウ、くれくれ貰ってくれ」とのこと。で梅の主にその旨を伝えると快く承諾してくれた。それがたしか昨年の夏、やがて秋に冬になり、年が明け春が来ていよいよ今年も彼の梅の木に葉が茂り、ポツポツと可愛い実が成りはじめた。僕は配達のたびにそれを見上げるのが日課になった。

聞いたところによると梅の実は雨に打たせないと大きくならないそうだ。「梅雨」とはよく言ったものである。まだかな、もういいかなと思案していたら「早く採らないと雨で落ちてしまうよ」と梅の主。連絡すると翌日の朝早く親方がやってきた。二人で脚立を使って一時間、ほとんどの梅を採り終えた。かなりの量だ。「君はいらんのか?」と聞かれたが内山家は去年漬けた梅干しがまだかなり残っている。親方は喜んで帰って行った。

今から梅酒造り
ところがその夜、妻の知人が梅をあげるからおいでという。ここの梅も先のと同様に完全な無農薬である。断る必要もないので単車で行くと十キロほどもある。これも親方にプレゼントしようかなと考えたが、待てよと妙長寺へ聞いてみると、奥様が「今年はもう買いました」 ああ遅かったか。次に義従兄へ電話すると「貰います」と嬉しい返事、僕は梅酒(といってもリカーはほとんど入れない)の分だけ残してまた単車にそれを積み込んだ。