2012年8月12日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(84)

愛宕山の周辺(その6)曲垣平九郎の話
文:山尾かづひろ 

上から見た男坂









都区次(とくじ): 改めて男坂の階段を上から見ると、急勾配で、元気な男でも勇気が要りますね。社前には曲垣平九郎(まがきへいくろう)の手折りの梅というものがありますが、これは何ですか?

登り切る出世の階段蟬時雨 冠城喜代子

江戸璃(えどり): これは講談の「寛永三馬術」の中の「出世の春駒」で有名な騎馬登段の話でね、徳川3代将軍の家光公が増上寺へ参詣の帰途、愛宕神社の石段上の源平の梅を目にして「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じたのよ。ところが太平の世が続いちゃって、家臣にそんな馬術の達者な者なんかいないわけよ。家光公の怒りが爆発寸前、というときに馬で石段を上っていった者がいたのよ。家光公はその者に見覚えがなくて「あの者は誰だ」と聞いたところ四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎と初めて知ったわけ。平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上してね。平九郎は家光公から「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたというわけ。

曲垣平九郎













騎馬登段虚実は問はず夜の秋 長屋璃子(ながやるりこ)
講談の名調子聴く夜の秋 山尾かづひろ