2012年11月4日日曜日

尾鷲歳時記(93)

少女に会いに行く
内山思考 

夕紅葉美女の極みは透き通る 思考

フェルメールの本と
少女の絵葉書など









の魔術師と言われるフェルメールの絵画展に行ってきた。場所は神戸市立博物館。その前の日曜が「風来」の句会だったから二週続けての神戸行である。やはり朝の7時に出て昼頃に着く予定。今回は妻も一緒なので道中いろんな話に花が咲き続けた。夫婦で神戸まで足を延ばすのは確か八年ぶりだ。その時はバスツアーでルミナリエ見物だった。どこかのレストランでサイコロステーキを食べたあと、歩道のわずかな段差に足を取られて思い切り転んだ記憶が恥ずかしくも懐かしい。

博物館の隣の駐車場に車を停めて館内に入ると「ただいまの待ち時間30分」の提示が見えた。そこに並んでいる沢山の人たちも「あの少女」が目当てなのである。「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」は今やアイドルタレント並みの認知度があるだろう。赤い唇を少し開けてこちらを振り向いた可憐な姿が何とも言えない。

暗い館内を人波の一部となって遅々と進み、嗚呼やっと本物に出会うことが出来た。束の間の、そして多分生涯一度きりの邂逅である。なのに妻よ頼むから小声で話しかけるのは止めてくれ。不思議なのは、見つめようとするとその度に彼女の視線が微妙に逸れることである。もちろん絵画なのだからそんなはずはないのに錯覚に陥る、まるで甘美なトリックアートだなと感心した。

わが家の
窓明かりの少女

ころで、フェルメールと言えば、ごく最近まで代表作は「召使い」だったのではなかろうか。美術の教科書にもあった、あの豊満な体格の女性が台所の窓明かりの中でミルクを器に注いでいる絵である。背景が黒一色の「青いターバンの少女」が注目され出したのはごく最近なような気がするのだ。その証拠に僕が持っている1964(昭39)年版の美術本のフェルメールの13点に彼女の姿は無い。しかしまあ、急に脚光を浴び始めたところにも親しみを感じる。ファンの熱い眼差しを浴びる毎日を彼女も喜んでいると思いたい。