2012年12月30日日曜日

尾鷲歳時記(101)

507分の1の記憶
内山思考

霜の村に朝日転がり込んで来る  思考

確かに似ているかも













朝のニュースが松井秀喜選手の引退を伝えている。ああ、来るべき時が来たのだなと思った。 二十年のプロ野球人生だそうだから、日米通算507本塁打の彼の記念すべき第一号を十津川の実家のテレビで見た時、僕は39歳だったのだ。「行った!」ヤクルトの高津投手の球を彼が打った瞬間、僕は思わず叫んでいた。

長年テレビで野球観戦していると、ホームランはすぐわかる。鳴り物入りで入団した逸材とはいえ、高校を出たばかりの若者である。プレッシャーもあったろうにそのスイングの速さと打球を見上げながらの走り出しの格好良さと言ったら・・・・。僕はたちまち彼のファンになってしまった。

あれから二十年、僕の身の上には色んなことがあったけれど彼の放つホームランの一本一本が、その都度癒やしにも励ましにもなってくれた。たった一度、テレビの画面ではなく球場で生のホームランを見たことがある。ナゴヤドームだった。その日は中日の川上憲伸投手が好調で試合は一方的、尾鷲まで三時間もかかって帰る重苦しいイメージが強くなってきた九回、松井選手に打順が回って来た。しかし、たちまちツーストライク。「もうだめだ」と隣の妻に言った途端に「カキィン」とバットが快音を発したかと思うと、ボールはグングン伸びてライト席に突き刺さった。この表現はよく使われるが、本当にグングン伸びて突き刺さったのだ。あの嬉しさは生涯忘れない。

MVPを報じたスポーツ紙
妻の従兄は松井選手のホームランを何本も見ていて、その中にはやはりナゴヤドームで天井に当たって入ったのや、ヤンキースタジアムで一試合二本放り込んだのを目の当たりにしたという。でも僕にはその一本で十分なのである。2009年のワールドシリーズMVPにも歓喜した。録画してあるからその試合の大活躍はいつでも見られる。これからも僕にとって松井秀喜選手の背番号だった「55」は特別な数字でありつづけるだろう。