2012年12月16日日曜日

尾鷲歳時記(99)

冬休み
内山思考 


雪慣れの姉が電話で笑うなり  思考


冬休みは炬燵で漫画をよく読んだ








年が明ければ還暦を迎えようというのに、今でもそろそろ世間では学校が休みだな、と思うだけで嬉しい気持ちになる。大人の鎧を着てヒゲを生やしていても中身は子供なのである。わが国には春、夏、冬と年に三度の長期休暇があるわけだが、昔から僕は、季節の違いだけではない感覚をそれぞれの休みに持っていた。

ず春休みは、父が中学教師をしていたため、転勤という一大事が突如やって来ることがあり、それを僕はいつも恐れていた。限られた日時の引っ越しだけでも大変なところへ、新学期への不安がのしかかって来るわけである。新しい学校の生徒たち、その数え切れない好奇の目に晒されるのは何ともいたたまれない。大した取り柄のない少年にはそれが恐怖ですらあったのだ。

結局、小学校で三度、中学で一度転校を経験した。しかし、いい思い出の方が圧倒的に多いのは幸せなことである。夏休みは必ず、実家のある十津川村で過ごした。従兄弟たちと山に登り、冷たい谷川で泳ぎ心ゆくまで少年期を満喫した感じがする。

その代わり、父と母は舅姑に気を遣いながら朝から夕暮れまで山仕事、畑仕事に精を出していた。僕たち子供は夏休みが終わって秋が来るのをとてもつまらなく思っていたが、両親は里を離れて日常に戻ることを喜んでいたに違いない。そして冬休み、これが一番ハンディが少なかった。

伯母(百歳)の形見のラジオ、
昭和の音がする
正月の前にまずクリスマスが来る。その当時はプレゼントもなければケーキも無い、ただ赤いソノシートの「ジングルベル」や「きよしこの夜」を聴いて雰囲気に浸るぐらいのものだったが、そういえば、一つだけ記憶にあるのは幼稚園の時、帰ろうとしたら下駄箱に色紙かなにかが入っていたことがあった。僕はサンタクロースの奇跡に胸踊らせながら駆けて帰り、「こんなん入っとった」告げると母は「そうか、良かったの」と微笑んでくれたのだった。五十数年前のクリスマス、僕たち一家はどんな夜を過ごしたのだろう。