2013年1月6日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(105)

山手線・日暮里(その4)芋坂下
文:山尾かづひろ 

ありし日の五重塔













都区次(とくじ): この芋坂陸橋から見た谷中霊園の五重塔は良い景色だったでしょうね。五重塔は心中の放火で焼失したのですか?
江戸璃(えどり):そうなのよ。心中だったら隅田川にでも飛び込んでしまえばよかったのよね。いまは塔の礎石だけしか残ってない。惜しいの一言よね。それでは、「芋坂も団子も月のゆかりかな」の子規の句で有名な「羽二重団子」に入って子規の続きを話すわよ。

芋坂の陸橋越えての恵方かな 冠城喜代子

都区次: 子規は本郷の常盤会宿舎を出て駒込の下宿に移りました。しかし、たった3ヶ月で駒込からこの根岸へ移ってしまった。そのわけは正岡家の経済的事情にあった。ということでしたが?
江戸璃: 正岡家は維新時の武士廃業に伴う家禄奉還金を銀行株券に変えて、その利子で生活していたのね。この金とて母と妹がやっと生活するだけの金額で、とても子規の駒込の下宿代などは払えなかったのよ。
都区次:この移転について子規は相談なしにやったということですか?
江戸璃:そういうことね。子規の母方の叔父で加藤恒忠という外交官に子規は東京での後見人になってもらっていてね、その加藤恒忠には手紙で移転の希望を述べてはいたけどね。のちに実際に移転をしたら一族の大問題になっちゃって、結果この根岸へ移ったというわけ。では何で移った先が根岸だったか、ということを次回に話すわね。

羽二重団子










五重塔礎石のみなり寒鴉啼く 長屋璃子(ながやるりこ)
門松の緑の艶も谷中かな 山尾かづひろ