2013年1月13日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(106)

山手線・日暮里(その5)芋坂下(羽二重団子①)
文:山尾かづひろ 

羽二重団子の店内









都区次(とくじ):羽二重団子の店の中には「谷中霊園案内図」を広げて談笑している人がいますが、墓地巡りをしてきた人のようですね。ところで子規が駒込の下宿から移った先が谷中であったということですが?
江戸璃(えどり): 結果的に谷中なのだけれど、ちょっと曲折があってね、すぐに移転したわけじゃないのよ。駒込の下宿と言ったけど、場所的には駒込追分町のことで、現在の住居表示だと文京区向ヶ丘2丁目20番地で、明治のころは華族や大学教授、弁護士、ブルジョア階級が多く住んでいて、下宿にしても家賃が高かった筈よ。子規が金の掛らない常盤会宿舎から有料の下宿に移ったことが分ると一族で大問題にしたわけ。それで、はじめて子規も家に金が無いことが分ってね。小説を書いて金を稼ぐことを考えたのよ。

  松取れて谷中なにやらなつかしき 佐藤照美

都区次: それで小説は売れたのですか?
江戸璃: 子規は来客を断って小説「月の都」を書き上げて、明治25年2月、幸田露伴を訪ねて批評を依頼したのよ。露伴の批評はかんばしくなくてね、これでは売れるどころではない、と子規も分って自分が今やっている「俳句分類」などの俳句の研究の道に専念しようと思ったわけよ。一方、当面の課題は明治25年の学年末試験をクリアすることだったわけよ。当然、試験勉強をするということになるわね。それで机の上を片付けて清潔にし、試験に必要なノートだけをならべると気分が良くなってきて俳句ばかりが浮かんできてしまう。子規は「俳魔」にとりつかれたと言っているけれど、こんな現象が明治24年の秋頃からあって、子規自身も学年末試験に落第すると分っていた節があるのよ。
都区次: それと谷中への移転と関係あるのですか?
江戸璃: あるのよ。次回に話すわね。

羽二重団子









人日や流行(はやり)谷中の墓地巡り 長屋璃子(ながやるりこ)
冬ざれや子規の写真と間取絵図 山尾かづひろ