2013年2月17日日曜日

尾鷲歳時記(108)

犬と猫の話
内山思考

盆梅や百才にして力瘤  思考

熊野古道センターにあった木製玩具
作成・畑中木工









近所で飼っていたクーはとてもおとなしい柴犬だったが、十数年の長寿を極め昨年とうとう居なくなった。どれほどおとなしかったかというと、まず大声で吠えたためしがなく、遠くに余所犬が見えたとき軽く誰何するのと、たまに飼い主に風呂場で洗濯?されて悲しげに拒否の意志をアピールするぐらいのものであった。クーがいた玄関先には今、主人のバイクが座っている。路地には他にも何軒かに犬がいるが、室内犬ばかりだから、郵便屋さんや宅配の人に激しく吠えたてる声の存在でしかない。子供もあまりいないからここは割に静かな場所なのである。

来し方を思い起こせば、わが家は母が動物嫌いで、周囲に犬も猫も近づけることをしなかった。でも僕が小学三年のとき一度だけ雑種の犬を飼ったことがある。あの母がよく了承したものだといまだに不思議だ。クロという名のその犬が餌を食べているとき手を出してかまれたり、車にはねられて骨折したからと父と二人で獣医に連れて行ったのも懐かしい記憶である。翌年の春に父の転勤が決まり、先に引っ越した僕が父とクロの到着を首を長くして待っていたら、来たのは父だけ、なんと途中で逃げられたというではないか。僕は怒り、失望したがやがて犬を飼っていたことを忘れてしまった。本当は、クロは父に捨てられたのだということを知ったのはずいぶん大人になってからの話である。

ちびくろさんぼのパズル
(トラもネコ科ということで)
姉はその点、旦那が犬好きだったせいもあってか、コーギーというあまり小さくもない洋犬を家族代わりにしている。たまに僕が行って腹を掻いてやるともっとせよ、とねだる。姉は笑って見ている。犬の話ばかりになってしまったが猫もなかなか面白い存在だ。去年だったか熊谷守一の猫の絵ハガキを猫好きの知人に出したら返事が来て、その文面に「どうも有り難う。実は私は幼少の頃、熊谷守一に可愛がられて育ちました。画伯を『お爺ちゃん』と呼んでました」とあって大いに驚いたものである。