2013年3月10日日曜日

尾鷲歳時記(111)

水平線の話
内山思考 

 磯巾着海をあやしていたりけり   思考

この文鎮(赤膚焼)は和田さんから頂いた








尾鷲の町は東に口を開いた細長い湾の奥にあるので、水平線はあまり見えない。島がいくつか浮かんでいるせいもある。今日、バイクで浜通りを走っていて海の歌を思い出した。「水平線眺めている でもぼくは何も見てない」。難しく考えれば禅の公案、簡単に言えば砂浜にでも座ってボーッとしている感じだろうか。

和田悟朗さんの句に

 男ものいう太平洋もいう  悟朗

がある。

「この開放感を味わおうとすれば、百八十度近い海との対峙が必要で、まさに男と太平洋は一対一で向き合っていなければならない。僕は大らかな春を感じる・・・・、」
(「風来5号」より抜粋 文・内山思考)

どちらも大海との内なる会話と言えるだろう。先の歌詞は「フォークの吟遊詩人」下田逸郎さんの「水平線眺めている」という歌で、「海鳴りの響き感じる それだけでみだらじゃないか」と続く。
尾鷲湾の夕朧
このみだらは色即是空の「色」のことじゃないかと僕は思っている。生ギター1本で、魂のつぶやきを一語づつ宙に置くように歌い上げる下田さんは、よく知られたシンガーソングライターである。オリジナルしか歌わない松山千春氏のたった一曲の例外が、下田さんの「踊り子」なのも逸話の一つだ。

ずいぶん昔、コンサートに行ったり句集を贈って読んで貰ったりしていた頃のある日、下田さんが突然、僕が働いていたGSに訪ねて来てくれたことがあった。何か手に持っているので「それ何ですか?」と問うとニヤリと笑い、「マイク、マイク」とささやいた。DJをしているラジオ番組(大阪?)の取材だったようだ。でも僕は、放送で自分の声を聴かないまま過ぎてしまった。

その後、沢山あった下田さんのCDを熊野川沿いのライブ喫茶にプレゼントしたら、2011年の台風による大洪水で流されてしまったのは残念だった。しかし幸いにも店は再開することが出来た。「水平線ながめている」のCDは今頃、熊野灘の水平線のどこかに沈んでいるに違いない。