2013年7月21日日曜日

尾鷲歳時記(130)



入道に会う
内山思考

飛行音眼下の神戸暑に沈む  思考 

ひこうき雲・久高島


















神戸発沖縄行きの飛行機は結構空いていた。連休明けだし、夕方のフライトだから観光客も少なかったのだと思う。窓際の席でゆっくり地上の風景を眺めながら思索を楽しもうと考えていたら、西日がまともに差し込んで眩しくて仕方がない。それでも、読書したり眠ったりするのは勿体無いので、窓を半分閉め目を細めながら、外を見続けていた。

僕たちの飛行機は低気圧の上を飛んでいるので、いつもは見上げてばかりいる積乱雲を見下ろすかたちになり、その風景はまさに圧巻。ノッソリ、ノッソリ、ノッソリと突っ立ってこちらを見ている無数の大小の入道たち。その背丈といったらいったい、ほんとうに一体、どれぐらいあるのだろう。彼らの足元は一面雲の絨毯で、ところどころの綴れに夕日が差し込み、暗い大地の河川を流れる水がまるで溶けた鉄のように、あるいは、黄金のように輝いている。

ああ、綺麗だなあ、地球規模の自然の営みを目の当たりにして、僕は感嘆するばかりだった。そろそろ九州の南端かな、桜島はどこかなと目を凝らすがどうも雲の夏布団をすっぽりとかぶっているようだ。一カ所他と違った色の雲が棚引いているところがあったから多分それが桜島の煙だったのではないだろうか。ちょっと目を休めよう、と機内に視線を戻すと隣の席の妻はよく寝ている。

通路の向こうのCAのお姉さんと目が合う。微笑んでくれて少し照れる。再び窓外に注目すると、雲の切れ間に黒い三角形の影が見えた。「開聞岳だ」僕は思わず呟いた。第二次大戦中、知覧の飛行場から飛び立った特攻機は、この山を見ながら死地となる洋上へ向かったのだという。
影・久高島

戦後、特攻隊員だった友人を偲んで知覧を訪れた時の話を僕は和田悟朗さんからうかがったことがある。「飛行場の後は広くて何も無くてね。開聞岳を見ながら彼はここから飛んでいったのか、と」 それから68年後の開聞岳の上空を、僕の乗った飛行機は沖縄へとなおも跳び続けた。