2013年8月25日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(138)

山手線・日暮里(その38)
根岸(上根岸82番地の家(23)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

旧制松山中学校










都区次(とくじ): 子規は従軍記者での喀血の療養を神戸・須磨で終え、松山の夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」にて8月28日から10月17日までの52日間の逗留をしました。逗留とはいっても子規は居候をしたわけですよね。ここで気になるのが漱石の懐具合です。「愚陀仏庵」自体も安そうな下宿ではありませんし、また現地の日本派俳句結社「松風会」30人を日夜指導したということですから、これは?

漱石の援助に感謝月の宴 畑中あや子

江戸璃(えどり): 都区次さんの言いたいことは分ります。指導・句会が済めば酒宴よね。料理・酒代は指導を受けた「松風会」が払うでしょうけれど、句会の運座に参加した漱石も三回に一回くらいは払わないと格好がつかないわよね。でもこれは大丈夫だったのよ。漱石は明治28年4月から旧制松山中学の英語教師として赴任していてね、校長が60円の俸給のときに、東大卒業の漱石は80円もらっていたのよ。当時は学歴が大きくものを言う時代だったのね。次回は東京へ帰る子規が漱石に金の援助を受けて途中、奈良へ寄る話をするわよ。
都区次: ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃: 向島百花園の千屈菜(みそはぎ)が綺麗だそうよ。見に行かない?

千屈菜













千屈菜や園広大にして孤高 長屋璃子(ながやるりこ)
千屈菜や石一枚の橋渡る  山尾かづひろ