2013年9月15日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(141)

山手線・日暮里(その41)
根岸(上根岸82番地の家(25)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

当時の大阪駅








都区次(とくじ): 子規は明治28年10月19日に広島宇品港へ着きますが、その後はどうしましたか?
江戸璃(えどり): 10月21日に須磨の療養所へ病状検査を受けに行っているのよ。
都区次:これはどうしたのですか?
江戸璃:8月28日から10月17日までの52日間を松山の漱石の「愚陀仏庵」で様子を見て逗留していたので、病状を検査する気になったのでしょうね。この21日に子規は叔父の加藤拓川に文を送り「須磨までは別状なし」と報告してるわね。

カリエスの兆候あり秋茜  熊谷彰子

江戸璃: 翌10月22日に大阪へ行ったのだけれど、左の腰骨が痛み出し歩行困難になったのね。これが脊椎カリエス発病の兆候で、死ぬまで痛み続けて命取りになったのよ。大阪には10月30日まで滞在してね。その間に3日間ほど奈良を遊覧したのよ。
都区次:脊椎カリエスで痛いのに奈良へ行ったのですか?
江戸璃:奈良を訪れることは子規の長年の願望だったそうよ。
都区次: ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃: 浅草で灯籠会(とうろうえ)をやっているから見に行かない?

浅草の灯籠会









秋風に背ナを押されて灯籠会 長屋璃子(ながやるりこ)
灯の下に石畳あり草の市   山尾かづひろ