2013年12月22日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(155)

山手線・日暮里(その55)
根岸(上根岸82番地の家(39)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

経王寺山門










都区次(とくじ):啓運寺の次はどこへ案内してくれますか?

山門の暗き弾痕年詰まる 熊谷彰子

江戸璃(えどり):啓運寺に隣接する経王寺へ行くわよ。この寺は谷中七福神の大黒天を祀っているのよ。彰義隊の乱は慶応4年(1868)のことだったけれど、敗走する彰義隊をかくまったために官軍の砲弾を浴び、その弾痕が何箇所も山門に残っているわよ。
都区次:戦いの大筋は、江戸無血開城に際し、彰義隊を名乗り、上野の山に立て籠もった旧幕府の不満分子と官軍の戦いで、わずか1日で官軍が彰義隊を制圧したようですが、こんな所まで戦いがあったのですか?
江戸璃:官軍は、攻撃によって、上野の山に立て籠もる彰義隊が「窮鼠猫を噛む」状況になることを恐れ、自軍の兵を三分割し、南、西、北の三方から攻め、東方を、彰義隊敗残兵の逃走口として開けていたらしいのよ。一方、敗走した彰義隊士3000人位は、全部が東方に逃げたのではなく、右往左往する者もいて、その一部が、時間稼ぎためか反撃のためか分らないけれど、経王寺に潜んだのよ。そして大局が判明しているのに追走してきた官軍と彰義隊の一部が小銃器と刀槍で戦っちゃったのよ。荒川区教育委員会の説明板によると「逃走してきた彰義隊士を匿った為攻撃を受けた跡」と説明しているけれど私は彰義隊が勝手に逃亡進入してきたのだと思うのよ。
都区次:ところで今日はどこへ行きますか?
江戸璃:今日も寒いわね。須田町の「ぼたん」の鶏すきやきで熱燗を飲みたくなったわね。
都区次:いいですね。行きましょう。

弾痕









油らし皮膜が水に冬ざるる 長屋璃子(ながやるりこ)
枯芒ゆれて弾痕黙通す   山尾かづひろ