2014年2月2日日曜日

尾鷲歳時記(158)

県庁ガマ
内山思考


壕(ガマ)を出て春風となるマブイ(魂)かな  思考

識名(しきな)台地から見た霊園の一部









しばらく日課にしている那覇市散策の途中で、書店や古書店に立ち寄るのも楽しみの一つになっている。地元だけあって新旧の沖縄本が沢山並んでいるからついつい長居してしまうが、肩掛けカバンが重くなると困るので一度に沢山買えない。今朝はそうやって買った中の一冊、「沖縄の島守」田村洋三著、を部屋で読みはじめた。第二次大戦中、米国の沖縄攻撃2ヶ月前に知事に赴任した島田叡(あきら)氏と、当時、県警部長だった荒井退造氏についてのノンフィクションである。両氏は沖縄戦末期まで、自らの生命を賭し県民保護に勤めた。丁寧に取材された生存者の証言からその様子がうかがえる。

第一章「幻の県庁・警察部壕再発見」を読み進む内に、島田知事たちが利用したという壕が今も識名霊園の中にあると知った。歩いて行けない距離ではない。是非とも見たいと思った僕は、本に栞を挟んで机に置くと、アパートを出て南へ向かった。那覇の街は快晴、国道沿いはほとんど蔭がないので汗ばむほどだ。あまり暑いので与儀公園(寒緋桜満開)のガジュマルの樹の下で少し休息をとり、やっと訪れた識名霊園は想像以上に広かった。

一つ一つがコンクリートの大きな墓だから、まるで住宅地に迷い込んだような気持ちである。結局探しあぐね、諦めて帰りかけた道のそばに「繁多川公民館」の文字が見えた。涼しい館内に入って聞いてみると「ああ、四方地壕(シッポウヂヌガマ)ですね」と職員さんの笑顔。再び、日傘の欲しいような陽気を後戻りすること15分、墓地の間の細い道を縫うように辿った大樹の根方に、通称「県庁壕(ガマ)」はあった。

右下に県庁壕の入り口がある
施錠した柵の下に人ひとりがやっと通れるほどの入り口がある。しかし、奥行きは30メートルもあり、なんと七十畳ほどの広間もあるらしい。七十年前、洋上を埋め尽くす艦隊から絶え間なく砲撃される中、島田知事たちは実際にここにいたのだ。壕内から立ち上る冷気を感じながら、僕はさまざまな想いにとらわれていた。