2014年8月17日日曜日

尾鷲歳時記(186)

出会い様々
内山思考

人生に当り外れや唐辛子  思考

説本堂前にて
青木上人と大賀ハス













還暦を過ぎてから「ああ人生ってこんな風に過ぎて行くんだな」とふと思ったりする。誰でもそうなのだろうか。別に悲観するわけでも、達観の境地に至ったわけでもない。ただそう思う。何か小事大事があるたびに「生きていればそんなこともあるやろな」と少し引いた気持ちになるのである。もちろん日常を送っていれば慌てふためいたり、ムカッとしたりもするが例えれば、皮膚一枚の内外を上手く使えるようになったということかも知れない。

でも、思い返すと数え切れない人々に今まで導いてもらったものだ。俳句にかんしては北さとり、和田悟朗両先生の名をあげたいがここでは俳句抜き、身内親類も抜き。そうするとまず三十歳で知り合った妙長寺住職、青木建斉上人のお顔が浮かぶ。お上人は七歳年上、ちょうど僕が俳句の魅力に取り付かれた頃からのお付き合いで、妙に浮き世離れしている男を面白がって下さったのか今も懇意にして頂いている。奥様は料理上手。だが一度も檀家になれと営業?された事はない。それもお人柄だろう。

四十代になってからは紀野一義先生だ。当時、恵子が体調を崩し始めたこともあり、何とも表現のしようがない焦燥感や不安感に苛まれていた僕に、青木上人は仏教者である紀野先生の講話テープを大量に貸して下さった。山口県生まれで、従軍中に家族を広島の原爆で失ったという紀野さんの話には悲哀を突き抜けた豪快さがあり、暇さえあればテープを聴きまくった僕は心身が蘇るような気がしたものだ。

人生はよきひととの出会いで始まる
紀野先生のサイン入り本
一度、留守中にお電話を下さったことがある。「だーいじょうぶ!貴女みたいな元気な声の人は死にゃしない。」と励まして下さったと恵子に聞いた時、僕は涙が出るほど感激した。そして言葉には本当に魂を救う力があると実感したのである。今年の正月、沖縄のアパート近くのマーケットで買い物をしている時、知人からメールが入り年末に紀野一義先生が長寿を全うされたことを知った。