2014年12月28日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(208)

谷中(その17)
文:山尾かづひろ 

ありし日の五重塔













都区次(とくじ):早いものですね。今年も残すところあと3日ですよ。こんな日は寺に誰も居ませんね。猫も帰ってゆきますよ。

山茶花や猫おもむろに立ち去りぬ 窪田サチ子

都区次: 前回は谷中の天王寺(てんのうじ)でしたが、今回も天王寺ということでしたが何を見て、何を話してくれるのですか?

ことりとも音せぬ路地や年暮るる 冠城喜代子

江戸璃(えどり): 大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いたときと同じ場所を案内して同じ説明するつもりなのよ。天王寺は元は感応寺(かんのうじ)という日蓮宗の寺院だったと説明したわよね。感応寺時代からある逸品として像高296センチメートルの銅造釈迦如来坐像があるけれど、もう一つ五重塔という逸品があったのよ。最初の五重塔は、寛永21年(1644)に建立されたけれど、150年ほど後の明和9年(1771)目黒行人坂の大火で焼失しちゃったのよ。それでも羅災から19年後の寛政3年(1791)に近江国(滋賀県)棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は総欅造りで高さ約34メートルあって関東で一番高い塔だったのよ。明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災・戦災にも遭遇せず、谷中のシンボルになっていたけれど、昭和32年7月6日不倫の恋の48歳の男と21歳の女の放火心中で焼失しちゃったのよ。そういう訳で今は花崗岩の塔跡だけなのよ。それでも明治3年の実測図が残っており復元も可能だそうよ。
都区次:塔跡のある辺りの形状は霊園ですが?
江戸璃:元は天王寺の境内だったのだけれど、明治維新に土地の殆どを新政府に献上して現在の谷中霊園になったのね。塔跡の近くの霊園事務所で「谷中霊園案内図」をもらい著名人の墓めぐりをしてみましょう。徳川慶喜、佐々木信綱、上田敏、さらには長谷川一夫など、それだけで2、3時間はかかっちゃうわよ。
炎上する五重塔













枯木立塔は礎石を残すのみ  長屋璃子
冬日濃し寺町影の神輿蔵   山尾かづひろ