2015年1月4日日曜日

尾鷲歳時記(206)

スタンド・バイミー 
内山思考

平熱と微熱の夫婦初日受く  思考 

那覇の初日の出












明けましておめでとうございます。
那覇で元旦を迎えるのは昨年に続いて二度目である。大晦日は知人や子供たちと何度かメールのやりとりをしながら紅白歌合戦を見て、寝床に入ったまま年が変わるのを待った。恵子はもう隣で寝ている。無音にしたテレビ画面の時刻がカウントダウンを始め、ゼロが3つ並んだと思ったら、どこか遠くで甲高い音がし始めた。法螺貝にもにたトーンだが、息を継ぐ様子も無い。

ああ、安謝(あじゃ)は港が近いから、新年を告げる汽(船)笛かな、などと思う内にまどろみに呑まれて、気づいたら朝。東の窓がカーテン越しにぼんやりと1月1日を照らし始めていた。沖縄は曇りの予報だったが、ちょうど雲が切れ初日が現れたので、二人それぞれに狭いベランダから手を合わす。買い置きのおせちを食べてから妻はテレビを見、夫は読み初めに取って置いた沖縄本に夢中となる。数刻経過、昼食をあり合わせで済ませた後、坂の下のマーケットへ買い物に出かけることにした。

一人の時は歩きである。元日としてはまあまあの人出だ。総菜と卵を買ってふと振り返るとレジの近くで少年が屈むのが見えた。硬貨を拾ったようである。店を出て回転寿司の前を通ると、今度は外のベンチに座っていたお姉さんが、ふいに足元に手をやった。一つ二つ、三つ目に摘んだのは十円玉らしい。僕は思わず微笑んだ。あの二人、正月そうそう小銭とは言え、お金を拾うなんてついてるな、しかし待てよ二度あることは三度ある、自分だって何か拾うかも知れない。

和田悟朗さんに
年頭のハガキを
いつもより念入りに大地を睨みながら、アパートまでの帰路を辿ったのだが、世の中がそんなに都合よく出来ているはずもなく、僕は少し息を切らせながらアパートの階段を上って妻のもとへ帰ったのだった。ところがである。ちょうど部屋へ入った時に、テレビの中の少年がこちらを向いて叫んだのだ。「見ろよ、拾ったぜ、1ペニーだ」・・・・・と。