2015年2月22日日曜日

尾鷲歳時記(213)

絵はがきの話 
内山思考 

あおによし奈良へ文書く那覇の春 思考 


通りの突き当たり(北東)が安里三差路








那覇市内の骨董店で古い絵はがきの束を繰っていると、那覇のメインストリートと書かれた写真の一枚(未使用)があった。それは、国際通りでたぶん一番繁華な「むつみ橋交差点」あたりの風景で、モノクロに着色しているようだ。コダックのカラーが出始めたのが昭和45、6年だからそれ以前に撮られたものだろう、と説明してくれる店主は戦後の首里育ちで、そこは子供の頃から馴染みの場所だと懐かしそうに笑う。僕は、もう一枚守礼の門のも足して買って、喫茶店に待たせていた恵子とヒロコさんに合流、件の一葉を今の景色に照らし合わせながら歩いてみた。

やがて目の前に「神山薬局」の文字が。ちょっとためらったが店内に入って、実は…と絵はがきを見せると、最初は怪訝な顔をしていた奥さんの頬が次第に緩み「どこでこれを」。ご面倒でなければ写真の撮られた年代を知りたいのですが、と言うと、奥さんはご主人に電話をかけてくれ、もう一人の白衣の男性は、写真を見ながら大きなビルの名と、写っている数台の車種を推定してくれた。


現在の風景、中央に大洋堂
僕はそれらの車が右側を走っていることに言われるまで気がつかなかった。結局、中央(※写真参照)に「あゝ江田島」の映画看板が見えることから、本土でそれが上映された1959年(昭34)の少し後であろうというのが結論となった。撮影後半世紀以上の時を経て、神山薬房のあった所には「ドン・キホーテ」が建ち、中央左手の道を少し入ったところに現在の神山薬局(旧薬房)はある。また左側の「大洋堂(白い看板)」は、変わらずその場で営業を続けている。

こちらの奥さんにもお話を伺ったが、同じ二月生まれとわかっていよいよまわりの景色が身近に感じられた。ちなみに、写真右側、神山薬房の手前にはガソリンスタンドがあったそうだ。偶然出会った一枚の写真の空間には、その日、豊潤な時間が流れていたのである。このアングルを決めてシャッターを押した人は誰だったのだろう。