2015年2月15日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(215)

人形町(その7)
文:山尾かづひろ  
挿絵:本田 滋


春恋し時


















都区次(とくじ):あと2週間もすると雛祭だというのに寒いですね。
江戸璃(えどり):確かにそうだけれど、今日は川の近くへ行くから気合入れて歩いてよ。

流れ行く目ん無い面の紙雛  黒沼たけし

都区次: 前回は水天宮でした。今回はどこへ案内してくれますか?

日曜の株屋界隈冴返る  冠城喜代子

江戸璃:兜神社よ。今回も大矢白星師に12年ほど前に案内して貰ったコースを同じ説明をして歩こうというわけ。
都区次:わかりました。兜町の方へ行こうというわけですね。
江戸璃:水天宮から新大橋通りを西へ行き、銀杏八幡の五差路を鎧橋への道へ入るわよ。この辺りは江戸開府以前は江戸湾の入江で鎧の渡しがあったのよ。源頼義、義家親子が奥州攻めの際、鎧を海へ投げ込んで鎮めたと伝えられる場所なのよ。現在は日本橋川の上には高速道路が通って、立派な鎧橋が架けられているわよ。白星師の所蔵する江戸名所図会の「鎧の渡し」では渡し舟が大きく描かれ、対岸には白壁の蔵が櫛比して、その向こうに凧が二つ三つ舞っていて美しいのよ。鎧橋を渡ると眼前を圧して東京証券取引所の大厦があるのよ。しかし今日は日曜日でひっそりしているわね。取引所ビルに沿って右へ行くと、すぐ右側に日本橋川を背にして兜神社が鎮座しているのよ。源義家が奥州遠征の帰途、兜を納めたという兜岩が伝説をとどめているわね。現在は証券業界の守り神になっているのよ。兜神社の前を南へ行くと、すぐ右側に海運橋と刻まれた石柱が見られるけれど、以前ここには楓川が流れており、幕府御船手頭の向井将監の屋敷があったので将監橋とも呼ばれたのよ。明治8年に石橋となり、その後鉄橋に架け替えられたとき記念に残された親柱で、中央区の有形文化財になっているのよ。親柱の立つ場所から通り一つ隔ててみずほ銀行兜町支店があるわね。正面に回ると銀行発祥の地の銅板が嵌め込まれているのよ。明治5年(1872)の「国立銀行条例」に基づいて設置された第一国立銀行の跡地なのよ。二代目の清水喜助(現在の清水建設の祖)の設計による木造和洋折衷のユニークな建物は、文明開化の代表的な景観としてもてはやされたのよ。


兜神社














春の風邪まつはりしまま神詣      長屋璃子
秤持つダイヤのクイーン春の風邪    山尾かづひろ