2015年3月15日日曜日

尾鷲歳時記(216)

太陽の話
内山思考

2・23(にいにいさん)の素数を得たり和田悟朗   思考

一昨年の奈良吟行で












 「ぼくは素数に関する本を見つけたら必ず買うんだ」と和田さんが言った。この間も新潮文庫の「素数の音楽」というのがあってね、の言葉が終わらない内に「あ、僕それ読みました」と思考が口を挟んだ。「そう、読んだの?」和田さんが微笑む。「でも先生、読んだのと理解したというのはまた別ですから」「ま、そらそうや、ハハハ」。思考もニッコリする。和田さんが自分のジョークで笑ってくれるのを彼は無上の喜びとしているのだ。

この会話は2013年12月15日の風来句会のあとのもの。俳人であるとともに科学者でもあった和田さんは、宇宙を構築する時間空間と同じように、ミステリアスな数の世界にも興味を持っていたようだ。「89歳の次は97歳まで素数がないんや」とも言った。「先生、沖縄はね、97歳で風車祝(カジマヤー)っていう長寿祝いをするんです。それまでいてくださいよ、盛大にお祝いしますから、東京五輪も一緒に行きましょう」「うーん(笑)行けるかなあ」などと話していたのに、1923年6月18日生まれの和田悟朗さんは2015年2月23日に91歳で宇宙へ帰って行った。

俳人としての見事な業績はこれからも語り継がれて行くだろう。誇らしいことだ。時間をたっぷり使って、もっともっとたくさんの作品を残していって欲しかったという気持ちがもちろんないわけでは無いけれど、風来のみんなと一緒にいるときの和田さんは、最後まで本当に幸せそうだった。楽しそうだった。

和田さん曰く
「太った子規」
機械だったら生産ばかりしていれば良いだろうが、人間はそうはいかない。和田さんがほぼ晩年まで自分のペースで作句していたのは側にいたから知っている。苦行のようにノルマのように一心不乱に作り続けても、どこかにゆとりが無ければ空虚であろう。大矢数を何度となくやったから僕にはよくわかる。個性ある風来人たちが集まったのも、人間和田悟朗が損得なく誰をも照らす明るい太陽だったからである。