2015年3月29日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(221)

湯島界隈(その5)
文:山尾かづひろ 


神田明神









江戸璃(えどり):早いものね。あと2日で3月も終っちゃうわね。

月面に「静かの海」や雛流す  赤崎ゆういち

都区次(とくじ):先月の2月は大矢白星師に不忍池を起点に湯島界隈を案内してもらったそうで、今月の3月はそのコースをトレースするということでした。今回はどこへ案内してくれますか?

鬼門守る左右の大臣(おとど)風光る   尾村富子

江戸璃:5番目の神田明神へ行くわよ。随身門から中に入るわよ。随身門とは神社で随身姿の二神の像を左右に安置した門だそうよ。この二神は門守の神(かどもりのかみ)と呼ばれ、本殿から見て右側が右大臣、左側が左大臣なのよ。神田明神は正式には神田神社というそうよ。天平2年(730)の創建と伝えられ、最初は芝崎村、現在の大手町の将門塚(まさかどづか)の場所にあったのよ。江戸城の拡張などに伴い、現在の場所に神社が移ったのは元和2年(1616)でね。幕府は1万坪の境内を用意し、壮麗な桃山風の社殿を造営し、江戸市民の期待に応えたのよ。

江戸っ子に人気の将門花万朶   冠城喜代子

都区次:これだけの神社ですが祭神は何ですか?
江戸璃:大己貴命(おおなむちのみこと)と平親王将門(へいしんのうまさかど)なのよ。大己貴命は別名・大国主命(おおくにぬしのみこと)と呼ばれ、仏教の守護神・大黒天と習合して大黒様として浸透しているわね。一方の平親王将門は平将門(たいらのまさかど)なのよ。将門は平安時代に関東に独立国を建てようとした。朝廷から見れば逆賊よね。しかし、関東では人気者であり、徳川幕府も神田明神を手厚く保護してきたわけよ。ところが大政奉還となるとそうはいかないわね。明治7年、天皇が神田明神へ行幸されることとなり、神社では将門を祭神から外し、摂社(せっしゃ)に納めてしまってね。代りに茨城県大洗の磯崎神社から少彦名命(すくなびこなのみこと)を勧請したわけよ。江戸っ子は大憤慨したけれど、どうにもならなかったわね。百年余り経って、NHKテレビが将門を主人公とする大河ドラマを流したことがきっかけで、昭和59年に盛大な遷座祭が行われ将門は主祭神に返り咲いたのよ。従って、いま私達が拝む神田明神の神様は三柱で、門前の謂れにもそのように書いてあるわね。


神田明神随身門










おのづから歩のゆっくりと春の夜   長屋璃子
太鼓鳴る春夜の灯増えてより        山尾かづひろ