2015年4月26日日曜日

尾鷲歳時記(222)

走る苦味
内山思考 

こだわりにマーマレードの苦味など  思考

ゴーヤーチャンプルー定食は
そばが付く









日本語は同音異語が多く、ゴミと聞くとつい塵芥を想像してしまうのは、たぶん日常での使用頻度の問題だろう。人が感じる味覚の五味の方は、会話の最初に注釈を付けないとそれだけでは伝わらないと思う。
A「あのほら、甘い酸っぱい…」
B「苦い辛い?」
A「そう塩辛い、の五味」
と言った具合である。

不思議なのは何故唐辛子の刺激も塩気の強さ(鹹さ)も同じ「からい」で片付けてしまうのかと言うことである。繊細な日本語に似合わないではないか。「しょっぱい」という表現はあっても、奈良和歌山大阪三重育ちの僕には子供の頃から使い慣れていないので、どこかモダンに聞こえて照れ臭い。要するに七味唐辛子もタバスコも、濃い味噌汁も海の水も「からい!」のである。二つの感覚を一つの形容詞で表す理由については、言語学の金田一先生にもしお会いする機会があれば一度伺ってみたいと考えているが、一面識も無いのは残念だ。

それに外国ではどうなのかも気になるところ。さて今回は苦味の話がしたかったのである。動物の中でこの感覚を珍重するのは人類だけと聞いた。「苦味」イコール「毒」とか「非食物」なのだろうか。しかし、われわれはフキノトウの苦味に瑞々しい山野の春の目覚めを感じ、夜明けのコーヒーを2人で飲もうと約束する恋の季節はほろ苦く。ゴーヤーチャンプルーを噛み締めれば、あっさりとした苦味の中に沖縄のひろこさんやタカシさんの顔が浮かぶと言った具合で、これらの場合、苦さは情感を増し記憶を蘇らせる風味の一種だと捉えられる。

叔父が焼いてくれた珈琲碗
まだある。苦味走った中老年男には、イケメン系の平成チャラリズムを寄せ付けぬ味わいがある。言うなればそれは、戦前戦中世代の薫陶を受けて成長した「昭和男」の誇りで、決して「苦虫を噛み潰した」顔のおっさんでは無いということだ。マーマレード名人の従姉によると、酸っぱい夏みかんの皮の方が、程よい苦さの美味しいマーマレードが出来るそうである。