2015年5月10日日曜日

尾鷲歳時記(224)

東の旅のこと 
内山思考 

たんぽぽや手紙ばかりに旅させて   思考

落語は精神的マッサージ(桂枝雀)
だとか









桂文我さんから頂いた「伊勢参宮神賑(いせさんぐうかみのにぎわい)・青蛙房」を読んでいる。(上方落語『東の旅』通し口演)の副題が示すように、大坂から伊勢参りをする道中を、昔ながらの落語咄の筆記で辿るという内容だ。往路十三話、復路九話の中には「煮売屋」「七度狐」や、「こぶ弁慶」「三十石夢の通い路」「宿屋仇」など、落語好きには馴染みの演題の他に、文我さん自らが古い文献から掘り起こしたネタもあり、一話づつに丁寧な解説がついている。

時に自らの師枝雀、米朝大師匠とのエピソードが語られるているのも興味深い。珍道中を繰り広げるのは上方咄のレギュラーコンビとも言うべき「喜六・清八」である。東海道中膝栗毛なら弥次郎兵衛、喜多八にあたる存在だ。現実にこんなスカタンが周囲にいたら面倒くさいやろな、と思いつつ、高座で語られるといつも演者の話術に引き込まれて笑い転げてしまうのである。

落語は楽しい芸術だ。しかしながら、聞いている分には流れ去る言葉も文章にすると膨大で、ページを繰りつつ「これが全て頭に入ってるの?」と改めて咄家さんの記憶力の凄さに驚いた。この一冊は、四代目桂文我という人の、落語に対する熱い思いがひしひしと伝わってくる名著である。研究熱心で面白いこと美味しいことの好きな文我さんだから、一緒に居ると座は誰も退屈しない訳である。

さて、僕の東の旅、「葛飾北斎、冨嶽三十六景各十句」も十九景にさしかかった。この旅が終わったら次はどこへ出掛けようかと考えている。

「神奈川沖浪裏十句」
呼ぶ不二に応と答えて浪立てり
億年の野生に目覚め海の面(つら)
冷静な不二へ怒涛の飛沫(ひまつ)かな
憂うべき国の鎖を浪が揉む
船頭の破鐘(われがね)の声浪隠れ
腕も櫓も折れよと漕ぐや押送舟(おしおくり)
男等へ不二より高き波頭(なみがしら)
波飽かず立つ向日葵の画家の眼に
汝が里へ帰れと艪臍(ろべそ)
軋むなり/舟はただ自然の浮力保つのみ

次は相州仲原の十句を












以上。