2015年5月17日日曜日

尾鷲歳時記(225)

飲食の夏来る 
内山思考 

いろいろな緑の中の新茶かな  思考

鰻のひつまぶし米1・5合








妙長寺(青木家)から新茶を頂いた。毎年、境内に生け垣代わりに植えてある茶の木からお上人夫妻が新芽を摘み、蒸して干して番茶を作る、そのお裾分けである。「夏も近づく八十八夜・・・」と二人で歌っているかどうかは定かではないが、作業しながら、ああ今年もこの季節がやって来たな、と思っておられることだろう。早速に淹れて大きな湯呑みでアツアツを啜った。いい香りである。

窓の向こうから天狗倉山が「旨いか」と見下ろしている。5月の尾鷲は周囲が山に囲まれているだけに、新緑が重なり合ってまことに美しい。すぐそこに新鮮な海もあるし、四季折々の眺めの中で僕はこの晩春から初夏にかけての野山の移ろいが一番好きである。と言うか、この時期の大自然のそれこそ自然な流れを、春、夏の歳時で分けて仕舞いたくない気もするのである。

味噌煮込みうどんと山菜めし(大)
しかしグリーンな感傷も束の間、「三寒四温」ならぬ「三暖四暑(造語)」のあとは長い梅雨を隔ててうだる夏がやって来る、これが辛抱なのである。台風でもない限り尾鷲は無風の町といっていい、汗をかいて体力を消耗しないためにも、水分を補給しガツンと食べて体力を維持する必要がある。そこで大台山系を源とする美味しい水と、食えばたちどころに血肉に変わる(ような)魚介に野菜を摂取して余裕綽々で夏百日を乗り越えたいと考えているわけだ。

その前哨戦としてとりあえず今夜は、ブランド肉「岩清水豚」を満喫するために、熊野市まで出掛ける予定である。北斎の三十六景各十句は三分の二を過ぎて、ちょうど時機を逃さず「駿州片倉茶園ノ不二」に差し掛かった。

不二晴れて摘めよ摘め摘め茶が光る  思考  
茶摘女の明るさ口も手も動く
菅笠も七難も無く笑い皺
北斎は知るや少年次郎長を
揺るる荷も馬も茶の色里のどか
隅々に茶の香充ちたり茶園の図
烏龍茶紅茶を知らず茶摘唄
水の春民は暦で動くなり
嫁ぎ先時には誉めて茶を摘める
腕組みの主(あるじ)にも夏近づくよ

以上。