2015年6月21日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(233)

石神井公園(その3)殿塚・姫塚
文:山尾かづひろ 

姫塚













江戸璃(えどり):梅雨入りしても時々梅雨の晴れ間があって助かるけれど、半端じゃなく暑いのよね。

梅雨晴れの筑波嶺青き常陸かな  池田枯石
登りきてたたむ日傘を堂の隅   竹中 瓔
階段が長くて西日避けられず   戸田喜久子

都区次(とくじ):ところで5月に大矢白星師の歩いた石神井公園をひと月遅れで案内していただけるとの事で、(その1)は石神井池で、(その2)は三宝寺池でしたが、今回はどこですか?

伝説の殿塚姫塚木下闇  窪田サチ子

江戸璃:殿塚・姫塚へ行くわよ。石神井城の落城の話だけれど、平安から室町時代にかけて南武蔵(主として東京都周辺)を領地としていた豊島氏が有ったのね。その豊島氏を滅ぼしたのが室町幕府(足利幕府)の関東管領・上杉氏の家臣だった太田道灌だったのよ。この時の史実は道灌の遺した「太田道灌状」という戦功報告が唯一の史実を伝える記録だったのだけれど、明治初期の人気作家・遅塚麗水(ちづかれいすい)がこの「太田道灌状」を脚色して新聞に歴史ロマン小説「照日松」を連載してね、その中に出てくるのが照姫で、石神井城の落城の際に城主は切腹、照姫は三宝寺池に身を投げたというストーリーだったのよ。これが史実以上に人気を博して、まことしやかに語られるまでになり、戦後しばらくして殿塚・姫塚が建てられちゃったのよ。

薄暑かな姫塚殿塚たどりをり  油井恭子
殿塚は他生の縁かな新樹光   甲斐太惠子
姫塚の走り根あまた木下闇   高橋みどり
姫塚に歴史のロマン風薫る   石坂晴夫
殿塚や風に吹かれし落し文   近藤悦子
走り根の守る姫塚青葉闇    白石文男

江戸璃:三宝寺池の南側へ行って水神社を拝んで行くわよ。この神社は厳島神社といって明治41年、大正4年に近隣の稲荷神社、愛宕神社、御嶽神社を合祀して、昭和58年に現在の社殿が竣工したそうよ。この社殿の向かいには穴弁天があって、洞窟は、いつからあったかは不明だそうで、防空壕跡ではないようね。奥行きは10メートル程だそうだけれど、穴の高さは1メートル程なので中腰で進まなければならないそうよ。今は地震の影響で中に入るのは禁止されているそうよ。

水神社











姫塚に育まれしや瑠璃とかげ  長屋璃子
梅雨晴れ間穴弁天の小暗がり  山尾かづひろ