2015年8月30日日曜日

尾鷲歳時記(240)

秋の声、時の笑顔 
内山思考 

過去にのみ人の集まる法師蝉   思考

思い出深い写真数葉








九月である。早いものだ。朝、机の前に座ると、いつも開いたまま置いてある大学ノートの無地の頁に目が止まった。そしてそのとなりのメモ帳、卓上用カレンダー、棚の本、CD、縁側の障子、と次々に視線がさ迷い、ああ、白さに心が引かれるのだと感じた。肌にあたる大気もどことなく優しく「こりゃ今日も暑くなるぞ」の嫌な予感がない。そうか秋がやってきたのか、白秋って言うからな、などと一人で合点して本と一緒に立ててある幾つかの写真立てに目をやった。

惠子と一緒のが三つで、それぞれ中国と沖縄と島根で撮ったものである。和田悟朗さん、酒井雄哉さんとのツーショット、中にはゲゲゲの鬼太郎と肩を組んだのもあり、いずれの一葉もその時々を思い返せばつくづく懐かしい。ヤマネが逆さまになってアケビを食べている絵はがきの横が、大笑いしている義兄の写真だ。大らかで優しくて温かい人柄だった四つ上の義兄は三年前に病で亡くなった。子供たちは家庭を持ち、桑名の家には姉とコーギー犬が一匹のこされた。

僕は月に一、二度姉の家に顔を出すようにしていて、ちょうど昨日も惠子が名古屋病院検診の日だったので、待ち合わせて三人で昼食と買い物をした。帰りに家に寄ると姉が、これ見てよとDVDを出してきた。三十数年前の8ミリフィルムを焼き直したものだと言う。生まれたばかりの長男を映したくて、義兄が当時最新鋭の撮影機器を購入したらしい。早速に鑑賞。くすんだカラー映像にあどけない甥(今は娘2人の父)が立っては転び歩いては二十代半ばの母(姉)にすがる。

懐かしの映像
三十分足らずの間、若い父親のカメラはほとんど愛児の姿を追っていた。途中、姉が代わって撮ったらしい義兄の笑顔が一瞬映ったが、すぐ幼子にレンズは向けられた。姉が「お父さんをもっと撮って置いてあげればよかった」とつぶやく。「それだけ子供が可愛かったんや、自分たちが老いることなんか考えてもなかったんやろ」そう言って僕は、あらためて義兄の笑顔を思い出したのだった。